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<title>SRCグループ代表 横山剛の「一粒万倍（いちりゅうまんばい）」</title> 
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<modified>2010-03-04T14:43:33Z</modified> 
<tagline><![CDATA[SRCグループ代表の横山剛が、日常の生き方とビジネスパーソンとしての心得を書き綴る実用的エッセイ。]]></tagline> 
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<title>☆No.43【仕事力のモノサシ】</title> 
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<modified>2010-03-04T05:43:26Z</modified> 
<issued>2010-03-04T14:43:26+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1445852</id> 
<summary type="text/plain">


仕事力は才能を越える事ができます。



仕事をする力には様々な種類が挙げられます。


営業力
企画力
行動力
指導力
統率力
会話力


そんな中で私が最も重視したい「力」は、「意思力」です。


人が生まれながらに持っている力にはそれなりの差...</summary> 
<dc:subject>☆仕事にヒントな一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1445852.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>仕事力は才能を越える事ができます。</b><br>
<br>
<br>
<br>
仕事をする力には様々な種類が挙げられます。<br>
<br>
<br>
営業力<br>
企画力<br>
行動力<br>
指導力<br>
統率力<br>
会話力<br>
<br>
<br>
そんな中で私が最も重視したい「力」は、「意思力」です。<br>
<br>
<br>
人が生まれながらに持っている力にはそれなりの差があり、努力によって埋められないものあることは事実です。<br>
<br>
<br>
但し、ビジネスの現場における仕事をする力は、生まれながらの力を超越することが珍しくありません。<br>
<br>
<br>
どこでそのような差が生まれるのでしょうか。<br>
<br>
<br>
人は大きく変わるもので、昨日まで仕事レベルの低かった人が、今日になると見違えるようにバリバリのビジネスマンになっていたりします。<br>
<br>
<br>
そこでその差を生み出すモノ、それが「意思力」です。<br>
<br>
<br>
ここで気をつけなければならないことは、「意思力」は「やる気」とは違うと言うことです。<br>
<br>
<br>
急に妙なテンションだけを上げて、張り切りだしても邪魔になるだけです。<br>
<br>
<br>
しかも「やる気」はそもそもの問題で、やる気がない人は仕事をしてはいけません。もし「やる気」無しに仕事をしている人がいれば、それは組織や社会にとって罪悪にしかなりませんので即刻仕事を辞めるようにして下さい。<br>
<br>
<br>
そこで重要なのは「意思力」ということになります。<br>
<br>
<br>
「意思力」とは具体的にどのように力を発揮して成果を残すか。つまりより良い結果を残すための明確なイメージを持って仕事に取り組むと言うことです。<br>
<br>
<br>
与えられた仕事に対して与えられたとおりに「やる気」を出して取り組むことは当然のことであり、それに加えて顧客や組織の役に立つために自らを研鑽し、求められる以上の結果を残していくことを目指すのが「意思力」です。<br>
<br>
<br>
「意思力」によって生まれる差は、その人の生まれながらに持つ力の差を大きく越える結果をもたらします。<br>
<br>
<br>
才能なんか無くても嘆くことはありません。明確な「意思力」を持って仕事に取り組めばそしてそれが「仕事力」の差となり、その結果、あなたを優秀なビジネスマンに育んでいくことでしょう。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
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</author>
</entry>

<entry>
<title>★No.69【未来を手に入れる】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1441090.html" />
<modified>2010-02-22T08:50:38Z</modified> 
<issued>2010-02-22T16:58:20+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1441090</id> 
<summary type="text/plain">

未来を手に入れること、できます。



旬な話題を。


高橋大輔は銅メダル。織田信成は７位入賞。


個人的には何れも素晴らしい結果だと思いますが、明らかに世間の評価も彼ら自身の満足度にも雲泥の差があります。


それは天国と地獄程の差があると言っても言い過ぎでは...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1441090.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<b>未来を手に入れること、できます</b>。<br>
<br>
<br>
<br>
旬な話題を。<br>
<br>
<br>
高橋大輔は銅メダル。織田信成は７位入賞。<br>
<br>
<br>
個人的には何れも素晴らしい結果だと思いますが、明らかに世間の評価も彼ら自身の満足度にも雲泥の差があります。<br>
<br>
<br>
それは天国と地獄程の差があると言っても言い過ぎではないようにも思えます。<br>
<br>
<br>
高橋大輔には賞賛と満足。織田信成には同情と後悔。<br>
<br>
<br>
この差はどこから生まれたのでしょうか。<br>
<br>
<br>
実はこの二人の思考には決定的な差があるのです。<br>
<br>
<br>
もちろん私自身は、この二人と話をしたこともなければ、実物を見たことさえありません。<br>
<br>
<br>
しかし、テレビのインタビューで決定的な二人の差を感じ、何れはこのような結果になるであろう事は、彼らの考え方の中にあったことが分かってきました。<br>
<br>
<br>
高橋大輔が、４回転ジャンプを失敗し、演技を終了したとき、実況アナウンサーは、<br>
<br>
「４回転ジャンプの失敗から見事立て直して高得点を獲得した」と評しました。<br>
<br>
しかし、本人は演技後のインタビューで、<br>
<br>
「４回転ジャンプを失敗することを想定した練習もしていたので、その後の演技に集中できました」と答えています。<br>
<br>
<br>
つまり、彼は、「立て直した」のではなく、単に「想定の範囲内」であったに過ぎないのです。<br>
<br>
<br>
高橋大輔の演技は、自ら想定する未来の中に収まりました。<br>
<br>
<br>
もし彼が４回転ジャンプの失敗を想定していなかったなら。<br>
<br>
<br>
結果は想像に難くありません。<br>
<br>
<br>
<br>
そして織田信成は、競技の前に既に靴紐が切れており、応急処置をしています。理由は、「感覚が狂うのが嫌だったから」です。<br>
<br>
<br>
一流のアスリートの感覚はちょっとしたことで狂うものでしょうから、この判断は正しいものだったのだろうと個人的には理解しています。<br>
<br>
<br>
では、彼は、「競技中に靴紐が切れたらどうするか」というところまで想定していたのでしょうか。<br>
<br>
<br>
後のインタビューからは、そのような準備をしていたといった発言は聞くことは出来ませんでした。<br>
<br>
<br>
織田信成の演技は、想定する未来以外の結果となりました。<br>
<br>
<br>
もし彼が靴紐が切れることを想定していたら。<br>
<br>
感覚よりも切れないことを優先して交換するか、切れても後悔しない覚悟を持って演技に挑んでいたことでしょう。<br>
<br>
<br>
私たちが生きていく中で、何かに挑戦するとき、また、何かを判断するとき、最も悪い結果から最も良い結果まで、そんなに多くの幅があるわけではありません。<br>
<br>
<br>
殆どの場合、その結果如何でどうなるかは想像できる範囲内だと思います。<br>
<br>
<br>
重要な挑戦や判断を行うときに重要なこと。<br>
<br>
<br>
それは考えうる未来を想定して、対応できる準備をしておくことです。<br>
<br>
<br>
挑戦や判断が重要であればある程、人は動揺し、緊張し、また失敗を恐れます。<br>
<br>
<br>
そんな時にこそ、あらゆる場合を想定して準備をしておくこと。特に失敗したときの心の準備が重要です。<br>
<br>
<br>
先回りして、考え得る未来を手中に収めておくことで、より成功への確率が高まっていくことでしょう。<br>
<br>
<br>
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<br>
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<br>
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</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.68【建前が本音であること】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1432871.html" />
<modified>2010-02-23T00:51:14Z</modified> 
<issued>2010-02-08T23:28:48+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1432871</id> 
<summary type="text/plain">


意見の違いはストレスではなく楽しみなのです。



人には建前と本音があるというのが一般的な考え方です。


しかし、私には、建前と本音は殆どありません。


こんなふうに書くと、まるで私が、自分自身をまるで聖人君子かのごとく喧伝しているように思わ...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1432871.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>意見の違いはストレスではなく楽しみなのです。</b><br>
<br>
<br>
<br>
人には建前と本音があるというのが一般的な考え方です。<br>
<br>
<br>
しかし、私には、建前と本音は殆どありません。<br>
<br>
<br>
こんなふうに書くと、まるで私が、自分自身をまるで聖人君子かのごとく喧伝しているように思われるかも知れませんが、当然ながらそうではありませんし、残念ながら聖人君子にはほど遠い人間です。<br>
<br>
<br>
では、なぜ建前と本音が無いのでしょうか。<br>
<br>
<br>
例えば、ある一つの問題にＡという考え方とＢという考え方があるとしましょう。<br>
<br>
<br>
私はＡを主張する人の前では、そのＡに賛同し、Ｂを主張する人にはＢを賛同するということが良くあります。<br>
<br>
<br>
見方によっては、お調子者とか八方美人といったところでしょうか。<br>
<br>
<br>
ところが私がある意見に賛同するときには、殆どの場合その意見に心から賛同しています。<br>
<br>
<br>
その理由は、自分自身の意見がどうであれ、その人の生き方や価値観、さらには目指す目的によって考え方が異なることは明白であることを常に意識をしているからです。<br>
<br>
<br>
また別のシーンでは、<br>
<br>
<br>
公的な場である意見に同意しながら、その後の気の置けない仲間達との会合で、その意見を否定するようなことを言っていることもあります。<br>
<br>
<br>
これも同じくどちらも本音です。<br>
<br>
<br>
つまり私自身の中でも一つの問題に対して常に２通り以上の考え方を持っているということなのです。<br>
<br>
<br>
一つの意見や方針は、何を目的にするかによって答えは異なります。また目的は同じでもその達成に向けての手法によって考え方は全く違います。<br>
<br>
<br>
そう考えると、人の意見を否定すること自体が、無意味だとも言えます。<br>
<br>
<br>
人の意見を否定すると、相当なエネルギーが必要ですし、否定される側もエネルギーを消費します。<br>
<br>
<br>
ですから、意見が食い違うときは、否定するのではなく、全てを肯定することから始めてみてはいかがでしょうか。<br>
<br>
<br>
そして、なぜその意見を持っているのかをじっくりと聞き、分からないところは納得できるまで質問していくのです。<br>
<br>
<br>
そうすることで人の話は自分の考えを決定づける為の貴重な素材として、あなたの考えを醸成させる糧になります。<br>
<br>
<br>
そして実際の行動においてどれを選択するかということだけは、自分自身の責任で決めればよいのです。<br>
<br>
<br>
意見の違いを楽しむ余裕があれば、考え方の異なる人たちとの会合もとても楽しく価値あるものになっていくことでしょう。<br>
<br>
<br>
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<br>
有名人ではないと、なかなかフォロワーが集まらないようですが、個人的にフォロワー100人を目指してつぶやいてみたいと思います。<br>
<br>
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</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.67【火中の栗を拾え】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1429036.html" />
<modified>2010-02-03T01:36:11Z</modified> 
<issued>2010-02-01T23:27:49+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1429036</id> 
<summary type="text/plain">


火中の栗は放っておくと灰になります。



「火中の栗を拾う」という言葉は日常的に良く耳にします。



「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すたとえ」「他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと」といったような意味として辞書に書いてあり...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1429036.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>火中の栗は放っておくと灰になります。</b><br>
<br>
<br>
<br>
「火中の栗を拾う」という言葉は日常的に良く耳にします。<br>
<br>
<br>
<br>
「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すたとえ」「他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと」といったような意味として辞書に書いてあります。<br>
<br>
<br>
ラ フォンテーヌの寓話をもとにしているということです。<br>
<br>
<br>
それはともかくとして、「なんでわざわざそんなことするねん」と関西弁で思いっきりつっこまれてしまうようなことに、敢えて取り組むと言うことを私は推奨しています。<br>
<br>
<br>
推奨していると言っても、一部の辞書の言葉の意味にあるように「ばかなめにあうこと」が可能性として高く存在しますから、表だって勧めると言ったことはありません。<br>
<br>
<br>
あくまで心の中で推奨し、そして火中の栗を拾う行為を行う人を尊敬します。<br>
<br>
<br>
もちろん結果として、寓話の猫のように火傷をしてしまうこともあるでしょう。<br>
<br>
<br>
ただその勇気をもってリスクを取る行為が、結果的に人のためになり、多少の火傷をしてもその経験が自分自身の糧になることがあると思います。<br>
<br>
<br>
もちろんただ単に火傷をするだけで、結果的に後悔だけが残るということもあるでしょう。<br>
<br>
<br>
それでも何度も懲りずに拾うことで、稀にとっても美味しい栗を人に振る舞ったり自分自身でもそれを食べることもできるのではないかと思っています。<br>
<br>
<br>
逆に拾わなければその栗は、灰になってしまいます。<br>
<br>
<br>
当然ですが、拾い方には工夫は必要です。間違っても何の準備も工夫もなく火の中に素手で突っ込んではいけません。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
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<br>
有名人ではないと、なかなかフォロワーが集まらないようですが、個人的にフォロワー100人を目指してつぶやいてみたいと思います。<br>
<br>
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</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>☆No.42【仕事力と孤独感】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1423344.html" />
<modified>2010-01-21T15:00:34Z</modified> 
<issued>2010-01-21T23:56:07+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1423344</id> 
<summary type="text/plain">


孤独感を恐れては自らを成長に導けないのです。



一般に仕事の出来る人は、人よりも先を進んでいきます。


例えばビジネスで人より前を走るためには、


より多くの行動をします。

より多くの工夫をします。

さらに新たな取り組みに挑戦します。
...</summary> 
<dc:subject>☆仕事にヒントな一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1423344.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>孤独感を恐れては自らを成長に導けないのです。</b><br>
<br>
<br>
<br>
一般に仕事の出来る人は、人よりも先を進んでいきます。<br>
<br>
<br>
例えばビジネスで人より前を走るためには、<br>
<br>
<br>
より多くの行動をします。<br>
<br>
より多くの工夫をします。<br>
<br>
さらに新たな取り組みに挑戦します。<br>
<br>
<br>
これが継続して出来ることと、それに加えて結果を残すセンスが伴えば、いわゆる仕事が出来る人と認識されます。<br>
<br>
<br>
上記のどれを取ってみても、周りと一緒に仲良くできることはありません。<br>
<br>
<br>
仕事では、前に出れば出る程、孤独感が生まれます。<br>
<br>
<br>
仲間が減っていくような錯覚に陥ります。<br>
<br>
<br>
つまり、本当に仕事ができるようなるには、この孤独感に打ち勝つことが必要です。<br>
<br>
<br>
優秀なビジネスマンになろうとすればする程、この孤独感レベルは増していくことでしょう。<br>
<br>
<br>
ところが、この孤独感に打ち勝って、自らのステージを引き上げることができれば、そこに新たな仲間が存在することに気がつくはずです。<br>
<br>
<br>
自分と同じように孤独感に打ち勝ってきた素晴らしい仲間に出会えるのです。<br>
<br>
<br>
この仲間は、孤独感に打ち勝てなかった過去の仲間達とは比べものにならない満足感をあなたに与えてくれることでしょう。<br>
<br>
<br>
<br>
ビジネスマンとしての成長はこの繰り返しだと言って良いと思います。<br>
<br>
<br>
つまりさらに自らのステージを高めるためには、新たに出会った仲間達と別れを告げて再度孤独感と戦う覚悟が必要です。<br>
<br>
<br>
その戦いが、困難であればある程、次のステージにおける出会いの満足感は高まっていきます。<br>
<br>
<br>
逆に言えば、孤独感を恐れ、失うことを恐れた時点でビジネスマンとしての成長は止まるということになります。<br>
<br>
<br>
「失う覚悟」と「得る希望」が成長の原点なのです。<br>
<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>★no.66【ときに太陽を考える】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1418493.html" />
<modified>2010-01-13T15:11:26Z</modified> 
<issued>2010-01-13T23:59:57+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1418493</id> 
<summary type="text/plain">



悩み、時々、太陽。



日々様々なことが起こります。

その殆どが自分の思い通りになることではなく、ストレスの原因になっていきます。

時にはそんな自分の存在を嘆くようなこともあるでしょう。


仕事がうまくいかない。

失恋した。

努力が実...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1418493.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<br>
<b>悩み、時々、太陽。</b><br>
<br>
<br>
<br>
日々様々なことが起こります。<br>
<br>
その殆どが自分の思い通りになることではなく、ストレスの原因になっていきます。<br>
<br>
時にはそんな自分の存在を嘆くようなこともあるでしょう。<br>
<br>
<br>
仕事がうまくいかない。<br>
<br>
失恋した。<br>
<br>
努力が実らない。<br>
<br>
受験に失敗した。<br>
<br>
将来が不安だ。<br>
<br>
友達に裏切られた。<br>
<br>
上司とそりが合わない。<br>
<br>
<br>
このようなことで落ち込んだときに、私は太陽について考える事にしています。<br>
<br>
想像も出来ない程の大きさの物体が、まったくエネルギーを補給されるこなく、何十億年も燃え続けている。<br>
<br>
<br>
この何とも言えない壮大なスケール。<br>
<br>
<br>
これに比較すれば、自分の悩みなど、砂粒ひとつの存在価値すらありません。<br>
<br>
しかも私たちは、その太陽という想像を絶するとてつもないものによってかろうじて生かされている、とても小さく弱い存在に過ぎません。<br>
<br>
そう思えば、日々感謝の気持ち意外に湧いてくる感情はないのではと思います。<br>
<br>
<br>
私は宗教家ではありませんから、日々太陽に感謝しようと呼びかけているのではありません。<br>
<br>
<br>
ただ、時々、太陽に思いをめぐらせることで、自分自身の悩みの馬鹿馬鹿しさに気がつくことも悪くない事だと思いませんか。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.65【「誠実に」さらに「誠実に」】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1413776.html" />
<modified>2010-01-04T09:12:08Z</modified> 
<issued>2010-01-04T18:12:08+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1413776</id> 
<summary type="text/plain">


「誠実さ」が「生きやすさ」につながる。



新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


新年最初のテーマは、誠実に生きること。です。

人の生き方として私はこれがいちばん生きやすいと思っています。


具体的には、人に対...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1413776.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>「誠実さ」が「生きやすさ」につながる。</b><br>
<br>
<br>
<br>
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。<br>
<br>
<br>
新年最初のテーマは、誠実に生きること。です。<br>
<br>
人の生き方として私はこれがいちばん生きやすいと思っています。<br>
<br>
<br>
具体的には、人に対して誠実であることです。人のことを心から思いやり、嘘偽りなく接するということです。<br>
<br>
<br>
これはなかなか難しい。<br>
<br>
<br>
人と接するときは、必ず自分自身にとって有利になるように考え、行動し、時には嘘をついてでも自分の思い通りにしようと思ってしまいます。<br>
<br>
<br>
また逆にこちらは誠実に行動していても、相手が自分を陥れたり騙したりすることで、こちらの誠実さが萎えてしまうこともあります。<br>
<br>
<br>
でも、どのようなことがあっても、誠実さを失わないことが、生きやすいと私は思っています。<br>
<br>
<br>
人はよくストレスを感じます。<br>
<br>
<br>
あなたが感じるストレスの中には、自分を有利に導く為に、人に対して誠実さを失ってしまったときに大きく感じるものがありませんか。<br>
<br>
<br>
逆に自らの誠実さに完全な自信があれば、どのような精神的な仕打ちを受けても、意外と平気でいられます。<br>
<br>
<br>
それは自らの考え、行動に、曇りがないからです。<br>
<br>
<br>
自分自身の誠実さに常に自信を持つことができれば、日常におけるストレスの大部分は解消していくことでしょう。<br>
<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.64【一生懸命をはき違えるな】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1398852.html" />
<modified>2009-12-13T16:01:23Z</modified> 
<issued>2009-12-14T01:00:34+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1398852</id> 
<summary type="text/plain">

一生懸命に何もしないということもあるのです。



一生懸命に努力するとか、いわゆるがんばるという言葉に基づいた行動を行うことでなぜか自分自身や周りが納得してしまったりすることがあります。


例え失敗しても。結果が出なくても。


一生懸命にやった...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1398852.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<b>一生懸命に何もしないということもあるのです。</b><br>
<br>
<br>
<br>
一生懸命に努力するとか、いわゆるがんばるという言葉に基づいた行動を行うことでなぜか自分自身や周りが納得してしまったりすることがあります。<br>
<br>
<br>
例え失敗しても。結果が出なくても。<br>
<br>
<br>
一生懸命にやったんだから仕方がない。<br>
頑張りは評価すべきだ。<br>
<br>
<br>
などと一定の価値を認められることがあります。<br>
<br>
<br>
実はここに大きな間違いが隠れていることが往々にして存在します。<br>
<br>
<br>
それは一生懸命の意味を履き違えていることが非常に多いからなのです。<br>
<br>
<br>
あなたにとって一生懸命とは何ですか？<br>
<br>
<br>
夜もロクに寝ずに勉強したことでしょうか。<br>
休み無しでやたらと仕事をしたことでしょうか。<br>
やたらと営業飛び込みを繰り返したことでしょうか。<br>
<br>
<br>
客観的に見ると、これらの行動は、一生懸命やっているとか、がんばっているとか見られているケースが殆どだと思います。<br>
<br>
<br>
<br>
これらは一生懸命におけるほんの一部分に過ぎません。<br>
<br>
<br>
<br>
私の考える一生懸命の定義とは、<br>
<br>
<br>
「求められる結果を出すために最も有効と思われる方法を導き出し、実際に実行し、その結果を鑑みて創意工夫を行いながら、最短距離での結果到達手法を導き出した上で実際に行動していく。そして時には行動しない」<br>
<br>
<br>
ということになります。<br>
<br>
<br>
一生懸命やがんばってるが単に「動いている」にならないよう、その中身の検証を怠らないこと。<br>
<br>
<br>
それが本当の一生懸命なのです。<br>
<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
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</author>
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<entry>
<title>★No.63【人を信用するな】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1397966.html" />
<modified>2009-12-08T10:17:17Z</modified> 
<issued>2009-12-08T19:17:17+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1397966</id> 
<summary type="text/plain">


信用は自らが与えることにより決定される。



過激なタイトルになりましたが。


信じていた人に裏切られたなどと嘆く人をよく見かけます。


はたしてこの裏切られた人は本当にその人を信用していたのでしょうか。


人を信用すると言うことは、大変な...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1397966.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>信用は自らが与えることにより決定される。</b><br>
<br>
<br>
<br>
過激なタイトルになりましたが。<br>
<br>
<br>
信じていた人に裏切られたなどと嘆く人をよく見かけます。<br>
<br>
<br>
はたしてこの裏切られた人は本当にその人を信用していたのでしょうか。<br>
<br>
<br>
人を信用すると言うことは、大変な労力を伴います。<br>
<br>
例えば、あなたが信用している人は多少何かがあってもあなたの望む通り、又は約束通りに行動してくれる人のことと定義していると思います。<br>
<br>
そしてその人があなたの望んでいない行動をしたとき、あなたは裏切られたと感じるはずです。<br>
<br>
<br>
そして嘆きます。<br>
<br>
<br>
でも何に対して嘆くのでしょうか。<br>
<br>
裏切った相手を恨み、または非難することでしょうか。<br>
<br>
<br>
基本的に人は、自分に有利になることを基準として行動の方向性を判断します。<br>
<br>
つまり裏切った相手は、裏切ることがその人にとって有利であることを認識したのです。<br>
<br>
あなたの信頼に応えるよりもその人にとって大きな事がそこにあったのです。<br>
<br>
単に足し算引き算の問題に過ぎません。<br>
<br>
どちらの判断が自分自身のプラスになるのか。<br>
<br>
<br>
このようなことを書くと、人は損得勘定だけで生きていないと、お叱りを受けそうですが、自分にとって損であることを敢えて選択することもその選択に何らかの損得勘定が隠れていることを理解すべきです。<br>
<br>
一時的には損な選択に見えてもそれが結果的に自分自身にとって「得」または精神的に「満足」が得られると判断した時にその方向に行動の選択を行います。<br>
<br>
つまりあなたが人を信用しようとするときには、その人があなたにロイヤリティを持った判断をしたほうがその人自身にとって物質的または精神的に有利である要素をその人に提供していなければなりません。<br>
<br>
そのことに自信を持ってこそ、初めて「信用する」という言葉を使うべきだと考えています。<br>
<br>
自分に都合の良い一方的な信用は、最初から裏切られることが決まっているのです。<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.62【最後に愛は勝つ】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1391157.html" />
<modified>2009-11-27T02:43:02Z</modified> 
<issued>2009-11-27T11:43:02+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1391157</id> 
<summary type="text/plain">


思いを実現するときに第一に考える事



歌の題名ではありませんが、何事も最後に愛は勝つと思っています。


例えばビジネス。


顧客を思いやる心(愛)が、顧客からの信頼を勝ち取り、結果、その心を持った企業や人に多くのファンが集まってきます。

そ...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1391157.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>思いを実現するときに第一に考える事</b><br>
<br>
<br>
<br>
歌の題名ではありませんが、何事も最後に愛は勝つと思っています。<br>
<br>
<br>
例えばビジネス。<br>
<br>
<br>
顧客を思いやる心(愛)が、顧客からの信頼を勝ち取り、結果、その心を持った企業や人に多くのファンが集まってきます。<br>
<br>
そしてビジネスは成功します。<br>
<br>
<br>
一時的には、市場における戦略とか、創意工夫のみによって市場を席巻することはありますが、あくまで一時的であり、その戦略と創意工夫に「愛」がなければ継続して市場における優位性を獲得し続けることは出来ません。<br>
<br>
<br>
目的が「利益を出すこと」で、戦略は「市場占有率を高めるため」のものであれば、その目的は達成しつづけることはないでしょう。<br>
<br>
目的が「世のため人のため」であり、戦略は「より多くの人のお役に立つため」のものであるならば、その目的は自ずと継続的に達成されることでしょう。<br>
<br>
<br>
人間関係や日常生活の様々な場面ににおいてもこの法則は当てはまります。<br>
<br>
<br>
身近にいる人たちに対しては言うまでもありませんが、会ったことのない人や世間そのものに対しても、常に愛の気持ちを持つことが、結果的に自らの人生は豊かなものにしていくのではないのでしょうか。<br>
<br>
<br>
創意工夫や戦略、企画、人に対しての物事の伝え方。<br>
<br>
<br>
それらの中身を考える前に、何に対して愛を追って取り組むのか。そのスタート地点を自分自身の中で明確に持っている必要があると考えています。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
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<title>☆No.41【資本主義は善？悪？】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1383923.html" />
<modified>2009-11-16T11:02:17Z</modified> 
<issued>2009-11-16T16:35:23+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1383923</id> 
<summary type="text/plain">


胸を張ってお金を儲ける。



金儲けと聞くとそれが何か悪いことのように聞こえることがあります。

一方で、

「金儲けの何が悪いのだ」

「いや金儲けが悪いのではない、問題は拝金主義だ」

なんていう議論があったりします。


はたして金儲けは悪...</summary> 
<dc:subject>☆仕事にヒントな一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1383923.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>胸を張ってお金を儲ける。</b><br>
<br>
<br>
<br>
金儲けと聞くとそれが何か悪いことのように聞こえることがあります。<br>
<br>
一方で、<br>
<br>
「金儲けの何が悪いのだ」<br>
<br>
「いや金儲けが悪いのではない、問題は拝金主義だ」<br>
<br>
なんていう議論があったりします。<br>
<br>
<br>
はたして金儲けは悪なのでしょうか。<br>
<br>
<br>
金儲けが悪いことなのであれば、資本主義そのものを否定することになるような気がします。<br>
<br>
つまり毎日一生懸命はたらいて、お給料をもらって帰ることが悪いことだということになります。<br>
<br>
<br>
では、金儲けは善なのでしょうか。<br>
<br>
<br>
実は金儲けには「金を儲けようと思ったら儲からないという」一定の法則があります。<br>
<br>
なぜかというと、お金を儲けたいという人はたくさんいますが、人にお金を儲けさせたいと思う人はいないからです。<br>
<br>
でも何かを欲しい思う人や、便利なサービスを受けたいと思う人、また何かに困っている人はたくさんいます。<br>
<br>
そういった人たちの役に立とうとする気持ちと行動が、結果的にお金儲けにつながるのです。<br>
<br>
つまり誰かの役に立ちたい、社会に貢献したいという気持ちが、必然的にお金儲けにつながっていくと言うことなのです。<br>
<br>
企業においてＣＳＲ活動とか、フィランソロピー、メセナ等の言葉を使って、企業が儲けたお金を社会貢献に使おうなどという動きがあります。<br>
<br>
企業人の心のどこかに、お金儲けに罪悪感があり、それをこういった活動で打ち消そうとしているのではないのかと思ったりします。<br>
<br>
心から社会や人に貢献したいと思っているのであれば、自らの事業に自信を持って取り組むべきであり、それで得た利益に誇りを持つべきなのではないのでしょうか。<br>
<br>
つまり、どれくらいお金が儲かっているかということは、社会貢献のバロメーターであり、儲けたお金は感謝の集まりだと言い換えることが出来ます。<br>
<br>
<br>
逆に、お金儲けることだけを目的にお金そのものを右から左へ動かすことで儲けているようなビジネスは、一時的に稼ぐことは出来ても、いずれ今回の金融危機のようにおおきなしっぺ返しを食らうこととなります。<br>
<br>
<br>
金融でビジネスを行うのであれば、それによって社会発展を促そうという根本的にお役立ちの気持ちがなければ継続して利益を上げ続けることは出来ません。<br>
<br>
このように考えると、人や社会に対しての貢献度が高い程、お金が儲かるという資本主義の仕組みの根本は善だと言うことが出来ます。<br>
<br>
仕事を続けていく以上、お金を儲けようと考えるのではなく、よりたくさんの人々や社会に役立つ行動をしようとする気持ちや行動が、お金を儲けるコツなのだと思います。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
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</author>
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<entry>
<title>★No.61【命を考える】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1376169.html" />
<modified>2009-11-04T05:06:43Z</modified> 
<issued>2009-11-04T14:06:43+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1376169</id> 
<summary type="text/plain">


自分の命をどう考えるか。



私事ですが、先日義父が亡くなりました。

亡くなる少し前から、亡くなった直後、通夜から葬儀、初七日から香典の確認、整理まで、私自身は何もお手伝いすることはありませんでしたが、傍からその様子を見させていただくことが出来...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1376169.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>自分の命をどう考えるか。</b><br>
<br>
<br>
<br>
私事ですが、先日義父が亡くなりました。<br>
<br>
亡くなる少し前から、亡くなった直後、通夜から葬儀、初七日から香典の確認、整理まで、私自身は何もお手伝いすることはありませんでしたが、傍からその様子を見させていただくことが出来ました。<br>
<br>
この年になるまで、こういったことを一連でかつ間近で経験することは無かったので、人が一人亡くなると言うことは大変なことなのだと改めて認識することとなりました。<br>
<br>
通夜も葬儀も大勢の方にお越しいただき、故人にとっても遺族にとってもせめてもの慰めとなったことだと感じています。<br>
<br>
<br>
ところで、人が一人亡くなると、しばらくの間、その人はこの世にいないのではなく、ここにいないだけなのではないかという錯覚に陥ります。<br>
<br>
<br>
突然現れても何の違和感もないような感覚を持つのです。<br>
<br>
<br>
さらに、故人と毎日のように密に接していた人以外は、一通りの儀式が終われば何ら変わることなく日々の生活を続けることとなります。<br>
<br>
<br>
そしてさらに時間が経つと、故人が存在しないことが当然のこととなり、人ひとりがいなくなったという空間が徐々に他の何かによって満たされていくこととなります。<br>
<br>
<br>
そして100年も経たずして誰もそのことを記憶している人すらいなくなってしまいます。<br>
<br>
<br>
そう考えると、人ひとりの命は、とてもはかないものであり、地球というと大げさですが、人類史上全体から見ても殆ど意味のないものであることが分かってきます。<br>
<br>
たとえそれが歴史上重要な意味を持つ人物であったとしても、教科書の活字に残るだけのことであり、知識としての意味しか無くなると言うことになります。<br>
<br>
<br>
こういったことから私は私自身に対して常に言い聞かせていることがあります。<br>
<br>
<br>
「自分自身の命や人生を大げさに考えるな」<br>
<br>
<br>
もちろん他人に対してこれを求めるようなことはしませんが、私自身は常に自分自身の存在価値を大げさに考える事はありません。<br>
<br>
<br>
自分一人いなくなっても100年もしないうちに誰も気にしなくなるどころか記憶にすら残している人もいなくなるわけですから。<br>
<br>
<br>
ですから私は、目の前のことに思い悩むことより、今自分が存在しているということ一点にのみ感謝の気持ちを持って日々一生懸命生きることに集中していくことを心がけているのです。<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>☆No.40【愛社精神を考える】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1366531.html" />
<modified>2009-10-21T07:01:40Z</modified> 
<issued>2009-10-21T16:01:40+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1366531</id> 
<summary type="text/plain">


愛を語ってみました。



ビジネスマンをやっていると「愛社精神を持て」とか「会社に対してロイヤリティを持て」などと言われることがあると思います。


果たして皆さんは愛社精神を持っているのでしょうか。


愛社精神とは文字通り会社を愛する気持ちの...</summary> 
<dc:subject>☆仕事にヒントな一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1366531.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>愛を語ってみました。</b><br>
<br>
<br>
<br>
ビジネスマンをやっていると「愛社精神を持て」とか「会社に対してロイヤリティを持て」などと言われることがあると思います。<br>
<br>
<br>
果たして皆さんは愛社精神を持っているのでしょうか。<br>
<br>
<br>
愛社精神とは文字通り会社を愛する気持ちのことです。日本の会社内においてはロイヤリティも同じような意味で使われます。<br>
<br>
<br>
愛するという行為は、自然発生的に生まれるものであり、持てといわれて持てるものではありません。<br>
<br>
<br>
その愛という尊い気持ちを、会社から強制的に持たされているというビジネスマンが多いのが現状ではないでしょうか。<br>
<br>
<br>
当然のことながら、組織に属して報酬をもらう以上は、その報酬に見合う仕事をするというのがあたりまえの論理です。<br>
<br>
<br>
それと愛社精神は異なります。<br>
<br>
<br>
大抵の経営者は従業員に愛社精神を持って欲しいと願っています。<br>
<br>
しかし<br>
<br>
大抵の従業員は愛社精神を持ちたいとは思っていません。<br>
<br>
<br>
このギャップが「愛社精神を持て」という何とも言えない妙な言葉となって宙をさまようことになる原因なのです。<br>
<br>
<br>
愛は与えるものであり求めるものではありません。<br>
<br>
<br>
与えられたミッションに対してロイヤリティを求めることは可能ですが、会社という組織体に愛を求めることは出来ません。<br>
<br>
<br>
組織に帰属意識を持つ人が少なくなってきている昨今であるからこそ、従業員と企業が互いに愛を与え合えるような土壌のある組織であることが、これからの企業に必要とされることなのだと思います。<br>
<br>
<br>
]]> 
</content>
<author>
<name>srcblog01</name> 
</author>
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<entry>
<title>★No.60【志（こころざし)を考える】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1363212.html" />
<modified>2009-10-16T06:06:23Z</modified> 
<issued>2009-10-16T15:06:23+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1363212</id> 
<summary type="text/plain">


あなたに志はありますか？


志とは辞書的には、目標とか信念、また相手のためを思う気持ちといった意味があるようです。


語感的には、何か「おおきく健全で且つ壮大な自らが向かうべき道しるべ」みたいな意味を勝手に想像したりしています。


今回は語感...</summary> 
<dc:subject>★日々良く生きる一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1363212.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>あなたに志はありますか？</b><br>
<br>
<br>
志とは辞書的には、目標とか信念、また相手のためを思う気持ちといった意味があるようです。<br>
<br>
<br>
語感的には、何か「おおきく健全で且つ壮大な自らが向かうべき道しるべ」みたいな意味を勝手に想像したりしています。<br>
<br>
<br>
今回は語感的な「こころざし」をテーマにしたいと思います。<br>
<br>
<br>
人を動かす原動力は、「欲」以外にもあるのではないか。と常々考えている私は、その一つに「志」を「欲」以外の原動力候補として捉えています。<br>
<br>
<br>
志の例を考えると、<br>
<br>
「政治家になって国を良くしたい」<br>
「地域の活性化のお役に立ちたい」<br>
「プロ野球選手になって子供たちに夢を与えたい」<br>
<br>
と、なぜか社会や人の役に立つようなそんなものが志という言葉に合うと感じます。<br>
<br>
<br>
「お金持ちになりたい」<br>
「プロ野球選手になりたい」<br>
「出世して部長になりたい」<br>
<br>
<br>
これらはちょっと志という言葉には合わない感じがします。<br>
<br>
このように考えると志とは、「人や社会のために何かを成し遂げようと思うこと」という意味だと感じることが出来ました。<br>
<br>
<br>
その為には、目の前の欲を捨ててその志に向かって行かなくてはなりません。<br>
<br>
<br>
では、志に向かっている人は欲そのものを捨てているのでしょうか。<br>
<br>
<br>
そうではありません。<br>
<br>
<br>
その「志」を成し遂げたいという「欲」があるからです。<br>
<br>
<br>
<br>
なかなか「欲」以外に人の原動力は見つかりません。]]> 
</content>
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</author>
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<entry>
<title>☆No.39【未来における会社のあり方】</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.src-japan.net/archives/1355867.html" />
<modified>2009-10-06T07:11:32Z</modified> 
<issued>2009-10-06T14:11:07+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:srcblog01.1355867</id> 
<summary type="text/plain">


思い切って会社の目的を変えてみました。



ちょっとテーマが重たくて面白くない感じがしますが。

現代から未来における会社はどうあるべきかという観点で書いてみたいと思います。

「会社は誰のものか」というテーマでは以前書いたことがありますが、今回...</summary> 
<dc:subject>☆仕事にヒントな一粒</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.src-japan.net/archives/1355867.html">
<![CDATA[<br>
<br>
<br>
<b>思い切って会社の目的を変えてみました。</b><br>
<br>
<br>
<br>
ちょっとテーマが重たくて面白くない感じがしますが。<br>
<br>
現代から未来における会社はどうあるべきかという観点で書いてみたいと思います。<br>
<br>
「会社は誰のものか」というテーマでは以前書いたことがありますが、今回は特に会社で働く人にとってどうあるべきかということに焦点を当ててみたいと思います。<br>
<br>
会社で働くと言うことは、過去においては、生活のためであったり、より良い生活を送るためのだけの手段として考えられており、今現在ももその目的に沿って仕事をしている人は多いと思います。<br>
<br>
一方で今増えているのは、生活のためと言うより自分自身の満足のためであったり、会社が社会との繋がりを持つためのツールに過ぎなかったりする人たちです。<br>
<br>
こういった傾向は今後も間違いなく続きます。<br>
<br>
念のためその理由を説明しておきます。<br>
<br>
第一に、仕事を一生懸命やることが生活を良くすることと必ずしもイコールではなくなってきていること。<br>
<br>
第二に、少子高齢化によって、家の数が余り住むところに苦労しなくなっている上に、親の年金をたよる子や孫世代が増えたことにあります。<br>
<br>
簡単に言うと、<br>
<br>
「あくせくはたいても先にことは分からない」<br>
<br>
と感じていたり、<br>
<br>
「たとえ失業しも家もあれば小遣いもある」<br>
<br>
といった状態の人が増えていることにあります。<br>
<br>
<br>
そのような人たちが増えている状況においては、私は、会社の役割を大きく変えていかなければならないと考えています。<br>
<br>
具体的に表現すると、<br>
<br>
「会社はある共通の目的に向かう為のコミュニティであり、人生を楽しむ場でもあり、大失敗から大成功まで様々な体験を積むことが出来る学習機関であり、生涯の友人を作るサークルとしての機能を持ち、しかも稼ぎたい人や人を動かしたい人、人の力になりたい人など様々な欲求を満たすことの出来る場でもある」<br>
<br>
ということになります。<br>
<br>
「会社＝生活の糧を得るために働く場所」であることはもちろん否定をしませんが、それ以上に多彩な機能を備えた組織を構築していくことが未来の経営には求められるのではないのでしょうか。<br>
<br>
もちろん企業の中には、こういった機能を利益追求の結果又は手段として持っているケースも多数存在します。<br>
<br>
ただ私が感じる未来の会社というのは、そういった機能を結果として持っている会社ではなく、目的として持っている会社なのです。<br>
<br>
<br>
つまり会社の存在目的そのものを、「利益」ではなく「組織」に変えていくと言うことです。<br>
<br>
<br>
今後20年以内に間違いなく世界的に低成長の時代がやってきます。<br>
<br>
<br>
その時代に生き残る組織というのは「人のための組織構築を目的とした」組織ではないのでしょうか。<br>
<br>
<br>
「利益」は単なる会社が生み出す副産物のひとつに過ぎなくなるかもしれません。<br>
<br>
]]> 
</content>
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